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非現実の王国で -ヘンリー・ダーガーの謎- 




信じられるだろうか。私は多くの子供と違い、
いずれ大人になる日のことを考えるのが嫌で仕方がなかった。
大人になりたくなかった。いつまでも子供のままでいたかった。
今や私は年をとり、脚の不自由な老人だ。なんてことだ!
                                   ヘンリー・ダーガー



ダーガー2



1972年、生涯孤独に暮らしてきた老人の部屋から
「非現実の王国で」と名づけられた大量の奇妙な小説とその挿絵群が発見された。
その物語に描かれているのは大勢の少女たち。
ある時は荒れ狂う空の下で陽気にはしゃぎ、ある時は兵士と戦い、またある時は翼を持った幻想的な生き物に助けられる少女たち。そして、多くの絵の中で、少女たちは裸で、しかも男性器を付けているのだ。
彼の死後、この謎多き作品は急速に評価を得て、世界に広まった。
老人の名は、ヘンリー・ダーガー。

先日、ヘンリー・ダーガーのドキュメンタリー映画「ヘンリー・ダーガーの謎」を見てきたので、
これを機会に今回はダーガーについて少し書いてみようと思う。

映画公式サイト http://henry-darger.com/



ヘンリー・ダーガー

ダーガーがシカゴで生まれたのは、1892年4月12日。
母が死んだことも妹が里子に出されたことも記憶になく、やさしい仕立て屋の父と暮らしていた。
絵本や童話が好きで、学校に上がる前から新聞を読むことができ、1年から3年に飛び級もした。
8歳の頃に父が体を壊し、「慈悲深き聖母の伝道団」という少年施設に預けられる。
施設から公立学校へと通うが、口や鼻やのどを鳴らして奇妙な音を立て、ほかの生徒たちに嫌がられたという。その後、感情障害を示したとされたため、イリノイ州リンカーンの知的障害児の保護施設へ移される。
1907年、父逝去。
州営農場で働かされる施設での生活を嫌い、脱走を試みる。
何度かの挑戦ののち脱走に成功し、260キロを歩いて再びシカゴへ。
帰る家のない17歳のダーガーは、聖ジョゼフ病院の清掃人の仕事を見つけ、尼僧の宿舎の清掃も担当した。
彼は童話に安らぎを見出したが、望みは自分の究極の物語を書くことだった。
ダーガーは1909年、生涯続けることになる仕事に着手する....


それが
「非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の氾濫に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語」
略称『非現実の王国で』と名づけられた、全15巻、1万5000ページ強の世界最長の散文と300点以上に及ぶ挿絵群だった。


僕が最初にダーガーの絵を見たのは去年、原美術館でやっていた展覧会でだった。
圧倒だった。
トレースされた大量の少女が描かれていたのを見て、圧倒され過ぎてなんかもう、笑えた。(トレースされているせいで場面によって表情が不自然だったりしてそれも面白い一因)
加えて、とてもセンスの良い色使いにびっくり。
一見、奇抜な色使いをしそうな印象を受けるけど、そうではなく、とてもセンスのいい色使いに感慨だった。

さて、ダーガーを論じる時に必ず出てくる、幼児性、ロリータコンプレックス、統合失調症、などの精神分析に僕はあまり興味がないので、それには触れないことにする。
心理学的論考はそれはそれで面白いんだけど、どうもダーガーと精神分析を結び付けたくないという自分勝手な想いがあって、、そして、やっぱり、ダーガーの魅力はその謎だと思っているので、謎を謎のまま楽しみたいと想うから。
「ダーガーはたまたま病んだ精神を作品に昇華することができただけで、下手したら幼児虐待者になっていたかもしれない、いや実際していたのかもしれない」という話が出るのも分かるけれど(実際、この前取り上げた秋葉の殺人者と似ていなくもないところがある)、ホームレスのような風貌だったが隣人や大家に恵まれ、風変わりな、まあ気味は悪かったんだろうけど、憎めない人物であったことは関係者たちが証言しているし、ダーガーは犯罪者ではなかった。というのが紛れもない事実なので、そこを掘り下げる気はしない。
(このことに関して、芸術手帖での会田誠の論評がとても面白いんだけど、それはそれとして)

このような話がたくさん持ち出されるほど、ダーガーはある面から見れば精神病理的な絵を描いていたため、知的なもしくは精神的な障害者だと勘違いされることがある。
けれど、まあ精神的なことはともかくも、知的障害者ではない。
ダーガーが自身で書いた自伝や「非現実の王国で」は実際の歴史に影響されている部分(第二次大戦終結後に描かれたとされる絵には花畑で遊ぶ少女の絵が多数見られ、平和への願いのようなものも見られる)があったり、戦争の悲惨さや共産党の批判を自ら書き綴っているという点を見てもダーガーが知的障害者ではないと分かる。

しかし、一方でダーガーは幼い頃、知的障害者として育てられていた、という事実がある。
それは小学校時代、、ダーガーは、口や鼻やのどを鳴らして奇妙な音を立るなどの不穏な行動をしていたため(ダーガー自身は、級友を楽しませようとした。と語っている)、いじめられ、喧嘩などの騒動を繰り返したために、教師や医師から感情障害を示したとされ、知的障害児の保護施設へ移されてしまったのだ。
確かに不遇な境遇に生まれたために、感情障害を起こしていたとしても、知的障害ではないダーガーをいきなり知的障害児の保護施設に連れて行くのはあんまりだ。
そして、そこで5年間も過ごすのだから考えただけでも気が滅入る。
ここでのできごとがトラウマとして「非現実の王国で」の「子供奴隷」のモチーフになったんじゃないかと思われる。

さて、肝心の「非現実の王国で」。
そのあらすじはというと、、
非現実の王国では、子供奴隷制を敷き卑劣な虐待を繰り返す大人の男たち「グランデリニア軍」に対抗し、それを解放、救出しようとするキリスト教国連合軍「アビエニア軍」と7人の少女「ヴィヴィアン・ガール」(ヴィヴィアン・ガールは射撃の名手にして変身の名人、残虐な拷問にも耐える強靭な戦士)、そして、ヴィヴィアン・ガールを助ける、少女の顔をしながら長い尾と羊の角を持つ「ブロンギグロメニアン・サーペント(総称ブレンゲン)」(ブレンゲンは”どんな母親の愛を凌ぐほど”の愛情でヴィヴィアン・ガールを守る!)が激しい戦争を繰り広げる。
しかも作中にダーガー自身もいろいろな役割で登場する。というもの。
「子供VS大人」もしくは「少女VS大人の男」という戦記ものなわけです。
この戦いの挿絵の中には、無残に臓腑を引き出された少女の死骸が大量に張り付けにされてる描写だとか、首を絞められて白目を剥いている描写だとか残酷なものがたくさんあり、その一方で花畑で遊ぶ可憐な少女たちを描いたものもあり、と、やりすぎだろってくらい残酷な描写の次に、これまたやりすぎだろってくらいの素敵な描写があったりと、なんかもうクラクラする。
しかも、少女たちはペニスをつけていて、それがトレースで大量に溢れているので、もうなんか分からんけど、凄い!としか言いようのない代物なわけで。
なんでこんなの描き続けたんだろう、しかも40年ものあいだ、密室で、ヘンタイかしら。と考えてしまう。そして、どっぷりとダーガーに惹きつけられてしまう。


ヴィヴィアン

<戦うヴィヴィアン・ガール>


ブレンゲン

<ブロンギグロメニアン・サーペント(ブレンゲン)>


虐殺1

<グランデリニア軍の虐殺>


僕がダーガーを大好きな理由は、作中のいたるところに散りばめられた両義性。
一見メルヘンな世界にはアンチメルヘンな要素が入り混じり、作中に出てくるダーガーでさえもグランデリニア軍側についたり、ヴィヴィアン側についたり、はたまた全然関係のないジャーナリストとして物語を俯瞰したりもする。
さらには、少女たちはアンドロギュヌスで、女嫌いなのに少女ばかりを描き、神を深く信仰しながらも一方で深く憎んだり、と物語自体も両義的で、そしてダーガー自体が抱える矛盾が、酸いも、甘いも、苦いもが、これでもかと物語に吐露されている。
吐露されているんだけど、ドロドロしてるようには見えなくてなんか拒否することができない。
むしろ、なんかかわいい。と、見てるこっちまでアンヴィヴァレンスを引き受けてしまう。
だから、ダーガーの絵を、芸術的だ!のひとことで片付けることはできないし、ヘンタイだ!のひとことでも片付けることができない。
混沌としたメルヘン、これがダーガーの魅力だ。
ここにダーガー研究の第一人者であるジョン・M・マクレガーのすごく共感させられる名文を引用してみる

『王国』を通して、ダーガーは混沌の世界を描き、文明が崩壊する過程を描いている。
戦争、奴隷制、道徳の瓦解はさらに大きな解体の一部にすぎない。
世界崩壊の妄想に囚われながら、彼はどうにか際に生きていた。
多分自分自身をも含む、人間の中にひそむ悪の限りない可能性に苦しみながら、幼子のように神への信仰にすがりついていた。
雲の中から神が現れ、秩序を回復し、正義をもたらしてくれることを願いながら。
しかし神が何もしてくれないとこを知り、ヘンリーは狼狽した。このことが『王国』の探検を促した。


では、その探検の結末は、いかなるものだったか.....
実は、「非現実の王国で」のクライマックスは、二通りある。
それはヴィヴィアンガールたちがグランデリニア軍に打ち勝つもの、そしてもうひとつはヴィヴィアンガールたちが窮地に追い込まれ激しい戦争をまた繰り返すもの。ここにもダーガーの両義性を見てとれる。
そして、一応はクライマックスを迎えた「非現実の王国」だが、実は「シカゴにおけるさらなる冒険」という続編が存在している(8500ページも!)。
きっとダーガーはこの王国から離れたくなかったんだろうな。


さて、映画を見てきたので。と書いたが全く映画について触れていないので、感想をば。
まず衝撃的なのはダーガーの絵が動くこと。
これについて賛否両論あるみたいだけど、僕は演出の効果としてとても良かったと思う。
この映画自体が、大家の妻や隣人などの証言を交えつつダーガーの実人生を辿りながら、非現実の王国のストーリーを平行させていくという現実と幻想を行ったり来たりする演出なので、動くダーガーの絵はとてもマッチしていたように思う。この夢うつつな映画構成がとても素敵だった。
孤独な人生を送ってきたとされるダーガーだけど、おかしな風貌にもかかわらず大家や隣人にとても恵まれていたようで、声をかけてもらっていたり、誕生会をしてもらっていたり、晩年、足が悪くなってからは介護もしてもらっていたようだ。(その隣人って人がいかにもやさしそうな人で、ほっこりしてしまう)
人付き合いがうまくなかったダーガーが大家の飼っている犬のユキに興味を示し、かわいがっていた。というエピソードも素敵だった。
そしてもっとも興味深かったのは、、、

晩年、ダーガーは体調を悪化させ、養老院に入ったため、大家がダーガーの部屋の整理していた時に小説と絵が発見される。その作品に大家や隣人は皆驚かされる。
養老院にいるダーガーに、それを見た隣人が「君の作品を見たよ。素晴らしかった」と告げると、不意打ちのパンチをくらったボクサーみたいに白目を剥いたという。
そしてダーガーはこうつぶやいた。
「もう遅いよ」

一体、この時のダーガーの気持ちはどんなだっただろう。

一年後、ダーガーは亡くなってしまう。81歳だった。


ダーガー1



ダーガーは、その人生の大半を密室で過ごしたため、資料といったら、自ら書いた自伝と日記、数少ない関わりをもった人たちの証言ぐらいしかない謎多い人物で、加えてその小説、挿絵がまた謎だらけで、それ故に精神分析やらいろんな見方をされているけど、僕はやっぱりそういうものにはあまり興味がなく、僕の中では、よう分からんけど、凄く現実的で、凄く幻想的で、もうなんか凄い変で、素敵な人。ということになっています。
ダーガーの墓標には「子供たちの守護者」と刻まれているそうなんだけど、これがダーガーに一番ぴったりなんじゃないか。と僕は思う。











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