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3つの部屋の合奏、夏の日 

exhi1_main.jpg
(これは前回の展覧会の会場)


浅草橋、パラボリカ・ビス。
大友良英の「ENSEMBLES 09 休符だらけの音楽装置」展のクロージングコンサートへ行ってきた。


クロージング・コンサート 〜最後の祭りにつきあって欲しい人達。〜
「コロスケ&くるみ&飴屋法水」、伊東篤宏、utah kawasaki、Sachiko M、大友良英


で、これが、まあ、戸惑いました。
何だこれ?状態。
(ちなみにコロスケは飴屋さんの奥さんで、くるみは娘さん。3歳くらいかなあ)

3つの部屋(図参照)で同時多発的に演奏がされ、観客は好き勝手に移動して聴く。演奏者も移動する。
というもの。
大友良英って人を知っている人は、この人の音楽が一筋縄でいかないことは分かると思います。
人によっては苦痛以外の何ものでもないっていう人もいるのではないか。
ひたすらノイズ、とかひたすら長いとか、70年代に流行したフリージャズの流れを汲むようなエレクトロニカノイズサウンドなわけです。


Image240.jpg

■部屋1(ここはギャラリーショップ兼カフェ)
大友さんが何やら得体の知れない装置でノイズエレクトロニカを流しはじめる
装置の前には桶。

■部屋2(I'm Here .. departuresっていう作品が展示してある部屋)
ここでもutah kawasaki、Sachiko Mによってノイズが流れ出す

■部屋3(Filament / 4 speakersっていう作品が展示してある部屋、真っ暗)
それに加えて蛍光灯で音楽を奏でるという伊東篤宏の演奏装置が設置されている。
赤、緑、青の光とノイズが流れ出す。
(蛍光灯の音楽ってのはこんな感じ。この日は山川冬樹さんも遊びにきていた。)
SONY "WALKMAN" CM『伊東篤宏×山川冬樹』篇
http://www.youtube.com/watch?v=bjlbwX0hZKU


この3つの部屋からは常に音が流れている。
部屋1と2の扉は開いていて、ギャラリーのどこにいてもずっと音が聞こえる。
飴屋さんファミリーはその部屋を行ったり来たりしながら何やらやっている。
僕はひとつの部屋に留まって聴くのではなく、飴屋さんを追ってみることにした。


飴屋さんがバケツに水を汲み、部屋1の大友さんの装置の前の桶にバケツの水をうつす。
そしてそこで線香花火をはじめる。
その様子を飴屋さんの奥さんと娘のくるみちゃんが見に来る。
花火を楽しむ。
もうすぐ夕暮れ。時刻は18時過ぎ。
花火が終わると、その桶に花びらを撒く。

部屋3(暗い)に移動。
またバケツに水を汲み、花火をはじめる。
娘もやってくる。

部屋2に移動。
動物の積み木(おそらくくるみちゃんのおもちゃ)をばらまきはじめる。
木がコンクリートの床に落下する音がした。

部屋3(暗い)に移動。
袋いっぱいの小銭を天井に向けて投げつけはじめる。
小銭が床に落ちる音と蛍光灯装置のノイズと光が混じる。

飴屋さん、階段に座り込んで、鈴を鳴しはじめる。
しばらく、延々と。
その間、部屋1と2からノイズエレクトロニカが漏れ聴こえている。
何やってんだろ?と外国人観光客が覗きにやってくる。

飴屋さん部屋2に移動。
座り込んで、手作りグロッケンやこども用の茶碗、箸、動物積み木、親指ピアノで奥さんとくるみちゃんと合奏。
途中、観客として来ていた山川冬樹もまじって合奏(と言っていいのかわからん。ただ遊んでいるだけにしか見えんかった)がはじまる。
様々な音が鳴る。

僕は思う。
これはなんだ。
このだらだら感は、このまったり感はなんなんだ。
平和そうな家族だなあ。
ノイズがずっと聴こえている。
日が暮れてきたなあ。
(ここまでで1時間くらいたっていた気がする。時刻は確か19時ちかく)
気だるくなってきたので、タバコを吸う。

飴屋さんがギターを取り出す。
ギターに弦は張っておらず、ボディに数個のプッシュピンが刺さっている。
このプッシュピンを手のひらでこすり合わせて、キュッキュッという音を出しはじめる。

部屋3(暗い)に移動する。
また座り込んでプッシュピン、キュッキュッをする。
延々と。
蛍光灯ノイズがいろいろ鳴っている。
しばらくすると大友さんがギターを持ってやってくる。
アンプにつないで、何やらノイズを鳴らす。
飴屋さん、キュッキュッ
蛍光灯、ピカピカ、ノイズ、ブィーン
ギター、キュイーン
しばらくそんな具合。
僕、眠くなってくる。
うつらうつらしてくる。
僕、目を覚ます。
あっ、合奏になってる。セッションしてる。

飴屋さんがギターを床にこすり付けてさっきより大きな音キュッキュッを出している。
リズムになっている。
蛍光灯もリズムのようなものなってきている。
大友さんのギターノイズもそれに合わせて鳴っている。
無秩序なノイズにリズムが生まれて、それに吸い寄せられるように各人の音が少しずつ集結されていく。

なんだこれ、すごくないか!
この音すごいな!

山場を迎える。
合奏終わる。
飴屋さんと大友さん、部屋3に移動。
大友さんギターを爪弾いている。
飴屋さんぐったりしている。
たぶんこれがアウトロ。

で、終わり。


なんだこれーーー
ひえー
いや、最後のセッションはなんかすごかった。
うん、でも何なんだこれ。


で、もやもやしながら帰ってきたんだけど。
あれはなんだったんだろ。ってずっと考えていた。

現代芸術もあそこまで好き勝手だと、苦痛だわ~
みたいな少しのイライラ感と
でも、最後のカタルシスな音の集合は、なんかすごかったなあ
っていう思いと。

なんか大きなものが残った。

ありゃ一体何なんだ。

家に帰ってネットしてたら
ある日記を見つけた。
このイベントに行った人の日記だった。

そこにはこう書かれていた。

---
飴屋さんがバケツに水を張って、窓をあけて、そして線香花火を灯したときに、すこし夕暮れで、そのありように涙が出てきた。
ご家族もそばにいて、小さな声で話していたり、とてとてと歩いていたり。
飴屋さんのファミリーも出演者で、その意味がとてもよくわかった。
ひとつひとつ目にするたびにぐっときて大変だった。
音楽と生活することとそこに居るということと特別なことではないのだなぁと不思議にすごく落ち着いた気分でゆったりした。
---

あぁ。っと思った。

これ読んだ瞬間に今日のことが、なんというかちゃんと体内に吸収された。
しばらく、ぼーっとなった。

感じていたのはこれだ。言葉にできていなかったけれど、これだったんだなと思った。


線香花火、夕暮れ、ノイズ、積み木遊び、暗闇、光、家族、夏の日、音、音、音、


3つの部屋の合奏。
というか、蝉の鳴き声もべちゃくちゃした世間話も、おそらく階段の足音すらも、音楽の一部だったのかもしれない。建物全体が音楽だった。
そんな音楽の場所に、みんながいた。
飴屋さんたちが音で遊んでいた。
くるみちゃんがかわいかった。
やさしい雰囲気。

そんで、最後にすごい音のうねりが生まれた。
くたくたになった。

音の集まりと、ある夏の日の、穏やかな家族の風景が合わさって、聴こえていたんだ。

あーー、そうか。 そうか。 


この事に気付けて本当によかった。
あの日の日記を書いてくれて本当に、ありがとう。
自分には、そのやさしい眼差しが足りなかったんだ、と少し反省した。

あの日の合奏が、今さっきの出来事のようにも思えるし、もう何十年も経ってしまった思い出のようにも感じる。

すごくやさしい、夏の日だった。

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耳で聴こえない音 

先日、新宿でやっていた山城組のケチャ祭りに行ってきた。
田口ランディの本などで読んでいたガムランの生音を聴いたことがなかったので、これはチャンスだなあ。と。

ガムランの音っていうのはハイパーソニックエフェクトといって人間の可聴領域を外れた高周波成分である超音波を聴くことで、"脳が活性化する"効果があるらしい。(まあ、脳云々はどうでもいいんだけども)

普通、人間の可聴域はせいぜい20kHzぐらいでそれ以上の音は聞き取ることができない。
だからCDに録音されている音楽の周波数成分も上限は20kHzだし、ギターやピアノなど、日常的に目にすることができるような楽器を鳴らしてもその程度の音域までしかでない。
ところが、ガムランは20kHzどころか100kHz!を越える音域まで音を奏でることができる。

で、その演奏なんだけども、すごい!
凄い。ガムランの倍音はこれほど気持ちいいものなのか。
聴くことのできない音は、ダイレクトに身体に作用するらしく、なんか体内で響き回っていてるのが分かった。
不思議な体験。Youtubeとかでガムランの音色は聞けるけども、高周波は感知できない。
これはやはり体験しないと!

途中、女性がふたり出てきて舞を踊ったんだけど、最初はゆるやかにそして、途中からトランス状態のような動きを見せて、うわーと思ってたら、シヴァ神を模した踊り子がばっーと出てきて、このシヴァ神の装飾がもの凄くケバケバしくて。おそろしくて。
視覚的にも、動きにも、そしてそのバックで流れているガムランでもやられるわで、こりゃ凄かった。
いやあ、もう言語化できない。音も体験もまったく言語化できない領域なんだもん!


続いて、ケチャ。
これも日記を書いておきながらうまく説明できません。
映像を見てください。



(サル登場。2:15あたりから歌い出します。)

これがケチャなんだけど、起源は1933年と、実は結構新しい文化なんだそうで。
これだけ呪術的な雰囲気なんだから古代から伝わっているのかと思いきやそうではないらしい。
で、これ観て思ったんだけど、呪術儀式というより、ギリシア神話劇に近いんじゃあないか。
ケチャの構成は、お話(バリに伝わる神話)を何人かの踊り手で演じて、その周りをサルと呼ばれる男たちが囲うというものなんだけど、ちょうどこのサルたちがギリシャ神話劇でいうところのコロスの役割にあたるんだと思う。

コロスよりも断然うるさいんだけど 笑
でもこのうるささがケチャの魅力で。サルたちが「チャ」などの擬音やうなり声をあげて、それがポリリズム化して、おかしな気持ちになってくる。劇が寂しい場面になると、サルたちも寂しそうにして、騒ぐ場面では俄然はりきったりもする。
演じてるのはみな裸のおっさんたちだったけど、そんなおっさんたちがかわいくみえてしまった。

「チャ」のポリリズムに、派手な仮面や化粧、そして踊り、凄い。
是非、機会があったら体験してみるのをおすすめします。

で、これ演じてるのは実は全員、日本人。なんでバリの民族文化を日本人がやってるんじゃい。
という疑問があるけれど、これはそういうエキゾチズムの問題ではなくて、都市化された環境のなかに人類の本来性に根ざした「新しい祭りの原型」を創造することをめざすというスタンスで、日本人が他民族の文化を学び、継承、伝達することによって、国云々の狭い枠にはまらずに、土着的な文化を廃らせないようにしようという試みのもとに行われている活動らしい。

パンフを読んでみるとこの集団が結成されたのは1976年。
ということはアンダーグラウンドと呼ばれる、唐十郎や寺山修司や、土方巽などが勃興してた時代、これは高度経済成長へ向かう社会へのアンチテーゼ、カウンターカルチャーとして土着性が流行していた頃にうまれた集団だったのだ。

たしかに12音音階で制御された音楽ばかりの中に、12音音階を飛び越えるものや、もう耳に聞こえない音を出す楽器があって、鳴ってて、そういう音楽があるんだってことは知らなくちゃいけないんだろうな。

それは二項対立的な世界や相対的に固まった構図に支配されないってことの象徴かもしれない。
ちょっと大げさか。でもこの集団がやりたいのってこれなんだと思う。
だって、このケチャ祭り、田舎や山奥でやってるんじゃなくて、新宿のしかも都庁に近い都会の中枢のビル郡でやってるんだから。
ものすごくラディカルじゃん。パンクじゃん。でも、戦闘的ではなくて。みんなでわいわいやってる。
この都会ではまだ、ケチャ祭りもあるし、紅テントもあるし、暗黒舞踏だってあるんだ。
都会の暗渠にまだこういう文化があるってことは、素晴らしいことだ!と思う。


ガムランとダンス。シヴァ神が恐くてカッコいい。


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